マカイバリ 紅茶
マカイバリ 紅茶



マカイバリ 紅茶 バナジー氏
2014年11月20日〜22日に開催されたオーガニックEXPO 2014での講演会。


2014年11月21日
オーガニックEXPO 2014
東京ビッグサイト 東4ホール
翻訳:佐々木陽子  
ダージリン、ヒマラヤ山脈における
サステイナビリティ
私がロンドン大学で学生として学んでいた1960年代後半は、静かではありましたが美しい革命が進行していた時代でした。ロンドンは世界各地から人々が集まる世界の中心でした。ビートルズ、ローリングストーンズ、ジミー・ヘンドリックスの時代、そして輝かしい世界的なフラワー・パワー運動の時代、ヒッピーの時代でした。それは人類史上、若者が初めて自分で自由に使える金を持ち、それに伴って勢力を得たのでした。この勢力はフラワー・パワーと呼ばれ、若者は憎しみに基づいた政治を否定し、愛の力を訴えたのでした。

環境保護運動やオーガニック運動は、この静かな革命の本質的な部分をなし、すべてを銃ではなく愛の力で克服することがその根本的な精神でした。私は、いわば、この静かでありながら力強い革命の申し子であり、古臭い従来の価値観を投げ捨てて、真の自由を求める世界中の若者との連帯を望んでいました。この素晴らしい運動に夢中になっていた私には、インドのダージリンで一族が経営する茶園に戻る気持ちは微塵もありませんでした。しかしながら、人が計画しても勝敗を決めるのは神なのです。

私は休暇のために一時的に故郷に戻りました。すると、父はマカイバリの森で狩猟を楽しむとよいと言って、私に一頭の馬と一丁の猟銃をくれました。のどかな休暇の3日目、目の前をイノシシが横断したときに馬が驚き、私は真っ逆さまに馬から振り落とされたのでした。この小さな落馬が私の人生の大きな分岐点となりました。瞬時に馬の頭上に投げ出された私は、大きなトンネルを駆け抜け、眩しい光に導かれ、樹々が悲しそうに「助けてください、私たちを助けてください」と繰り返し訴える光景を体験したのでした。一瞬の後、私は地面に叩きつけられ、私が体験したことは夢ではなかったと自覚しました。樹々から私は聖なる真言“マントラ"を託されたのでした。

私にとってこの体験は、この真言に無条件に服従しなければならないと思うほど強烈だったのです。つまり、これは神のお召しだったのです。使命を授けられてしまったのです。その日、自分に何が起きたのか全く理解できず、ただ合理的にこの現象を理解しようと決意しつつ、頭がおかしいと言われたくなかったので誰にも話せずにいました。その夜の夕食のとき、私の両親には大きな喜びでしたが、自分は一生マカイバリで過ごすということを告げました。

私の家系は、1848年の茶園開設以来それまでおよそ100年間、ダージリンで紅茶栽培に従事してきました。私の曽祖父が1859年に設立した工場は、ダージリンで初めての紅茶製造工場となりました。それ以前に、中国からのお茶は1300年の歴史があり、日本のお茶の伝統は500年以上ありますが、それらはすべて手でお茶が作られていたのです。ジェームズ・ワットが1854年に蒸気機関を発明して、そして1859年に私の曽祖父は最初の紅茶製造工場を設立したのです。そのことが私にこの遺産を機能させる責任感を持たせました。

実際に私の家系は、イギリスがつくり上げた植民地時代の紅茶業界の最高の紅茶の試飲者、研究者、記録や資料、買い手、仲介業者などの重要な人脈を持っていました。その後数年間、私は紅茶業界に大きな影響力を持つ専門家や知識人と会いながらも、ダージリンの87の茶園すべての実態を把握することに集中しました。

そしてまもなく私は、ぞっとするほどのおぞましい実態を知ったのでした。ほとんどの茶園主は、環境を無視して、唯一の目標である貸借対照表の旨味を最大限にすること、つまり売上を最大にすることだけのために紅茶を栽培していたのでした。この結果、茶畑すべてが崩れ落ち、山崩れが万延していたのです。お茶だけが単一栽培されていたのでした。ダージリンは、疑いもなく世界有数の絶景で最も急勾配の山々が存在するところです。6月から9月にかけて降水量が多くなり、お茶は極度の急勾配の丘陵で栽培されています。このため表土が浸食されるのです。除草剤の使用は犯罪とも言えましょう。なぜなら浸食を促進し、結局は紅茶の不作を招くからです。すべての茶園主は、その後の予期しない問題について考慮することすらせずに、肥料、アカロイド樹脂、農薬、除草剤などを大量に投与していました。これは短期的な利益と長期的な災害をもたらす、いわばブラインドデートでした。

あの落馬事件で私に託された真言とは、今の私には非常に明確です。それは木を植えることでした。茶園の茶畑の中に、どんな荒地や空き地にもあらゆる形の、あらゆる大きさの、あらゆる色の木を植えなければならない、ということでした。私の父は新しく茶畑を切り開くため20ヘクタールの土地を開拓しましたが、即座に私は抵抗しました。このようなことを直ちに止めなければ、私は父の元を去りマカイバリから出てゆくと父に訴えました。新しい茶畑か、私か、選ぶのは父です。そして私が勝利しました。私は直ちに開拓されたばかりの土地に土着の苗木を再び植えたのです。今日マカイバリ茶園は、1ヘクタールの茶畑に対して2ヘクタールの原生林を持つ世界で唯一の茶園です。