マカイバリ 紅茶
マカイバリ 紅茶



マカイバリ 紅茶 茶園
マカイバリ茶園の中での記念撮影。


文:名倉早都季
東京大学 教育学部 実践・政策コース2年
   
マカイバリ茶園から学んだこと
2014年9月に東京大学の体験活動プログラムでインド、ダージリンにあるマカイバリ茶園を訪問させていただきました。領主のバナジー氏をはじめ、快く迎え入れてくださった茶園の皆様には本当にお世話になりました。ありがとうございました。三日間という短い間でしたが、ここでの生活から私は三つのことを考えさせられました。

一つ目は自然とともに生きるということです。近年、日本でも有機農業という言葉がよく聞かれるようになりました。もちろん私もなんとなくその意味をわかっているつもりでしたが、マカイバリのような方法、ただ化学肥料を使用しないだけではなく、「宇宙とつながっている」農法というものは聞いたことがありませんでした。月の引力を考慮した農法、自然をあるがままにし、そのリズムを尊重した農法にとても驚きました。農法だけでなく、私はここに生きる人たちもまた、宇宙とつながり、自然のリズムに合わせて生きているように感じました。マカイバリでは焦っている人は誰一人としていません。工場見学や森林散策など予定の集合時間に集まっても開始するのは30分、40分後だったりします。はじめはやきもきしていた私たちでしたが、徐々に慣れ、おいしい紅茶を楽しみながらゆっくり待てるようになりました。

時間に厳しい日本ではまずこんなことはありません。電車が2分でも遅れれば謝罪のアナウンスが入ります。締め切りに遅れることは許されず、徹夜で仕事や勉強をこなす人もいます。まわりをみれば、誰もが仕事や時間に追われています。また何のタスクがないときでも、携帯電話やテレビ、インターネット、ゲームなど数多くの娯楽の誘惑に負け、夜更かししてしまうことも少なくありません。コンビニをはじめ24時間営業の店も多く、夜も都会は真っ暗闇になることは決してありません。マカイバリでは電波が通じず、携帯電話が全く使えませんでした。マカイバリにいく前は不便だと思っていましたが、いざ体験してみると「いつも誰かとつながっている状態」から放たれた気分はとても自由なものでした。私はいかに自分が「いつも誰かとつながっていること」に疲れ、携帯電話という存在に翻弄されていたかを知りました。マカイバリでの生活は暗くなったら寝て、日が昇ったら起き一日を過ごす、というとてもシンプルなものでした。そこに娯楽はありませんでしたが、東京では体感できないようなすがすがしい気分の自分がいました。自然とともに生きるということは、娯楽や仕事に翻弄されず人間本来の時間、自然のリズムに合わせて生活を送るということです。難しい考えではありませんが、もはや夜のない日本でこうした生き方をしている人は少ないように感じます。多くの人が心の病にかかったり、残酷な事件が起きたり、違法な薬物が蔓延したりと様々な問題が噴出しているのも、私たちが人間本来の時間を生きることを忘れてしまったからではないだろうかと思いました。

マカイバリ 紅茶 バナジー氏
テイスティングルームにてラジャ・バナジー氏による紅茶の説明。
マカイバリ 紅茶 バナジー氏
ラジャ・バナジー氏宅にて夕食会。

二つ目に感じたのは人の暖かさです。マカイバリでは茶園に住む家族の家にホームステイさせていただきました。暖かく向かい入れてくれたこと、おいしい料理を振る舞っていただいたこともそうですが、私はホストマザーが私に家族写真のアルバムを見せてくれたときのことが忘れられません。お母さんはその写真がどこでどんなときに撮られたのかとても楽しそうに話してくれました。その様子から彼女がどれだけ家族を大切に思っているかがひしひしと伝わってきました。またほとんどの家には垣根というものがなく、隣の家の子供が頻繁に遊びにきていました。ホストマザーが本当の子供のように接していたので、はじめこの家には子供が何人いるのだろうと不思議に思ったくらいです。日本でも田舎ではわりと同じような状況があるのではないかと思います。私の出身は静岡ですが、小さい頃はよく隣の家の犬と遊んでいましたし、いまでも帰省して道を歩いていると、ご近所さんによく声をかけられます。しかし東京の下宿先ではマンションの隣の人さえわかりません。「関わらないことが都会人のやさしさ」とはいいますが、それでもやはり人とのつながりが希薄だと感じます。やらなければならないことや娯楽はふんだんにあります。携帯やインターネットで誰とでもつながることはできます。しかしひとりで家にいるとき、携帯を触りながら、テレビを見ながら、私はふと寂しさを感じることがあります。マカイバリの人たちは家族や身近な人をとても大切にしていました。人と人との直接的なつながりがいかに貴重なことか気づかされました。

そして三つ目に、幸せとはなにか、ということです。日本には食べ物もモノも娯楽もあふれかえっていますが、私には日本の人よりもマカイバリの人たちのほうがはるかに幸せそうに見えました。実際に歩いてみてわかりましたが、歩くだけでも大変な茶園での仕事は重労働です。しかし彼らは自分の仕事に誇りを持っていました。満員電車にゆられている仕事帰りの疲れた顔とは違って、すがすがしい顔をしていました。(もちろん日本にも誇りをもって仕事をしてくださっている人はたくさんいると思います。)モノの豊かさが必ずしも幸せであるとは限りません。マカイバリにきてみてその言葉の本当の意味を知りました。私は将来貧困に苦しむ人たちの助けになりたいと考えていますが、「幸せとはなにか」という問いをいつでも自分に問いつづけていきたいと思いました。

今日、科学技術が発展し、生活はますます豊かに便利になっています。バナジー氏は産業も重要であり、政治も重要であり、そしてまた環境も重要であると語ってくださいました。私は環境、とくに豊かな自然が人間を清々しい気分にしてくれると身をもって感じました。日本ではどうしても携帯電話をはじめとする娯楽や道具に翻弄されがちです。しかし昼は思い切り活動し夜はきちんと寝る、自然のリズムに合わせた生活を送っていかなければならないと思いました。そうした生活のうえに健全な精神があり、勉強にも仕事にも懸命に取り組むことができます。自分が清々しい気持ちであれば自分だけでなく他の人を幸せにするにはどうしたらいいか考え、行動する余裕ができます。自然のリズムに合わせて人を大切に生きること。当たり前のとてもシンプルなことを私はマカイバリから教えてもらいました。ダージリンの風景とともにこのことを忘れず、バナジー氏のように多くの人を幸せにできるようこれから精進していきます。

マカイバリ 紅茶 バナジー氏
ラジャ・バナジー氏宅にて記念撮影。