マカイバリ 紅茶 エコツアー マカイバリ 紅茶 エコツアー


参加された方の感想 2015年7月15日更新
マカイバリ茶園はダージリンの中でも特別な存在であることを再認識させられたツアーであった。現代の利便性を犠牲にしてでも自然の茶園を守ろうとしている。そこから世界一の茶葉が生まれている。一消費者として、私が協力できることは何か。マカイバリのお茶を一杯飲んで、親戚、友人にも薦めていこう。


マカイバリ茶園エコツアーに行けてよかったです。そこの紅茶には独特の繊細な香りがあり、「どのように作っているのか」をもっと知りたいと思って参加してみました。実際に飛行機に乗って、車に揺られて現地に行ってみるとロケーションがとても美しいです。霧が掛かったり、晴れたりで同じ場所でも全然違う表情を見せてくれます。お茶摘みや紅茶の工場で、上等な手仕事が垣間見えたのも大きな収穫です。さらにホームステイを通じて、それまで「あたりまえ」と思っていたことが、違う環境になると全然違ってくることに気付けるいい機会です! 質問に答えてもらったり、通訳をしてもらったり、と同行したマカイバリジャパンの石井さんには深く感謝します。


初めてのインド…1
素晴らしい大自然―マカイバリ
2015年5月12日〜19日のマカイバリ茶園訪問エコツアーに参加し、初めてインドを訪れました。快く迎え入れてくださったラジャ・バナジー氏をはじめ茶園の方々、お世話になったグループに、皆様に、心から感謝いたします。とても楽しい旅でした。

5月13日の夕方、やっとマカイバリに到着した。ラジャ・バナジー氏はじめ茶園の人々が出迎えてくださいました。丁度ヒンズー教の日没時のお祈りの時間で、工場横にある祭壇にローソクを灯し、お線香をあげてお祈りでした。その説明をうかがい、歓迎のしるしの絹のスカーフを巻いてもらいました。夕闇がせまり、濃い霧が立ち込めてきました。マカイバリは日本で想像していたとおりの所でした。緑豊かな大自然の地で、これに優るところは他にない、という所です。

マカイバリには4泊しましたが、朝、晩には決まって濃い霧につつまれ、日中には日が差す天候で、激しい雷雨の夜もありました。気温は灼熱のデリーやアグラと異なり、日中は快適、朝夕は涼しく、寒いくらいに感じる日もありました。

マカイバリ茶園は山の斜面に拡がり、はるかかなたの向いの山や茶園の裾野の方は完全に手付かずの原生林です。その宏大さに圧倒されます。こんな宏大な茶園を化学肥料や殺虫剤を使用せずに管理するのは大変なことだろうと思いました。

現代文明は自然の破壊により成り立ち、人間は尊大にも自然そのものをも支配しようとしています。しかしここでは人間は自然の中の一部で、自然のリズムに合わせて生き、お茶をつくっているようです。まさに人間生活の原点に帰ったあるべき姿です。

ラジャ・バナジー氏にお話しをうかがいました。彼は「健全な土地が健全な人間をつくる」と云っていました。牛をどう思うかとグループ全員に問いましたので、私は「牛は食べ物で、私はビーフが好きだ」と答えたら、彼は怒りもせず「神戸ビーフは有名だね」と笑っていました。彼によると牝牛の角は根本から先端に向かって螺旋状になっていて、その先端から宇宙のエネルギーを吸収する。牝牛は寝ている間も反芻し、4つの胃で消化して排泄する。寝ている間に反芻できる動物は他にいないそうです。だから牝牛の糞は宇宙のエネルギーを含む最高の肥料となるのだと。これぞ宇宙につながる農法と云えるでしょう。

彼はまた「太陽の色は何だ」と皆に問いました。皆それぞれに答えましたがすべて違う。「太陽の色は緑だ」と云っていました。これには皆納得がゆかない顔でしたが、彼の緑に対する思いがいかに強いかの証明だと思いました。

日本に帰ったら自分の好きな木を一本植えてくれ、またこのお茶の実を植え育ててくれと、お茶の実を数個づついただきました。

彼は経済も重視、政治も重視、環境も重要だと語っていました。決して時代ばなれした経営者ではなく、現代を直視した経営者でした。ラジャ・バナジー氏はセンス・オブ・ヒューモア豊かな紳士で、常に面白い話をして人をあきさせません。お話を伺うことができてとても楽しかったし幸せでした。

自然の中で暮らすこの村の人々は、経済的には決して豊かとは云えませんが、皆親切で満足しているようです。特に子供たちの笑顔の明るさは忘れられません。幸せは経済的豊かさだけではないと云うことを良く知らされました。また子供たちは非常に大切に育てられていると感じました。

我々の暮らしは近代化され、生活は豊かで便利となりましたが、同時に失ったものも大きいと気付かされました。マカイバリがいつまでもこの状態で保たれ、現在の静かな素晴らしい環境の中で、村民たちが平和に暮らしてゆけることを心から希望しています。


初めてのインド…2
混沌と矛盾―デリー
灼熱のインドというとかっこういいが、デリーの暑さは並大抵ではない。晴れて太陽がギラギラ輝いているのだが、空は白くぼんやりと霞んだ感じで、大気汚染のひどさは深刻だ。あのPM2.5という奴が飛び回っているのだろう。

ラッシュ時に空港から車で移動したが、30分程度かかるというところを1時間以上かかった。交通ルールはあってなきがもののようで、少しでも空いている所があれば、我れ先にと車が突っ込んでくる。日本ではあまり聞かない警笛がブゥーブゥー、ピィーピィーうるさい。インド人はなんでもゆっくりだと聞いたが、車に乗ると人が変わるらしい。

そんな混雑している道路を平気で横断してくる人がいる。また物売りが車のドアをたたく。物売りは大人から小さな子供までいて、こんな物を買う人がいるのだろうかと思われるような物を売っている。交通渋滞の状況は日本の比ではない。

初めてインドを訪れ、宏大なインドのわずか数ヵ所を見ただけで、インドを語るなどおこがましいが、デリーはインドの縮図ではないかと思った。

アグラへ行くため、早朝ニューデリーの駅へ向かったが、そこでの光景は衝撃的だった。近代的な駅の入口ホールには多数の寝ている人たちがいた。男も女も子供もいる。ホームレスの人々が占拠しているのだ。街の道端や木陰で寝ている人はよくみるが、かくも多勢の人々が駅の玄関ホールを占拠しているとは予想外だった。乗客はそれらの人々を跨ぐようにしてホームに入って行く。何とも異様な光景であった。

デリーはかつての支配者、英国人が作ったニューデリーと、昔からあるオールドデリーから成る。ニューデリーの中心地には整然と区別された清潔な高級住宅街が広がる。広い庭をもつ邸宅も立派なら、道路も緑豊かですばらしい。ここはインドとはまるで異なる街だ。しかし、かつての支配者が出ていった後は、インド人の金持ちや高級官僚の住居となっている。なんのことはない住む人が英国人からインド人に変わっただけで、その生活内容やぜいたくさは全く変わっていないようだ。

一方オールドデリーに住む一般庶民は昔と変わらぬ所に住み、同じように働き、生活している。喧噪と混乱がうずまき、必死に生きている様子がうかがわれる。要するに独立前の英国支配当時と状況はなんら変わっていないように思えた。独立の英雄、国民の父ガンジーの理想「人間は皆平等・階級などない」はどこへいったのだ、とその格差の大きさにあらためて驚く。

この混沌とした状態や大きな格差の矛盾はこの国の最大の問題だろう。一日も早く解決改善されることを願う。宏大な国土、豊かな資源、そして12億の人口を有するインドの将来は明るいものであることは確かだと思った。


島田珈琲(広島県)島田智子
マカイバリ茶園 エコツアーに参加して

私は今までいろいろな紅茶を飲んできましたが、マカイバリ紅茶はなにか違っていました。わざとらしく作った感じがなく、しつこくなく、何杯でも飲むことができる、しかも香り高い紅茶。そして新陳代謝がかなり良い。マカイバリ紅茶を知ると他の紅茶が飲めなくなるくらいおいしい紅茶。

マカイバリ通信ブログ、石井さんとのやりとりから、いつか茶園に行ってみたいと思うようになり、「思いつづければ願いはきっとかないますよ!」…という社長の石井洋子さんからの言葉を胸に"いつか行くんだ!"と思うこと10年近く。今回、迷うことなく参加を希望し、夢実現!!となったわけです。

紅茶にとって
ベストシーズンである5月
目の前に広がるマカイバリ茶園は青々と、そしていきいきとして、写真で見たとおりの茶園でした。霧がでたり雷雨があったり…で、植物は朝霧にぬれ、すごしやすい気候で茶葉にはすごく良い環境なのだと思いました。茶園でホームステイし、茶園を散策したり、ダージリンで初めての紅茶製造工場(1859年設立)を見学したり、茶園主ラジャさんから直接テイスティングを教わったり講義を受ける…という貴重な体験をさせていただきました。

ラジャさんは紳士で素晴らしい偉大な方にもかかわらずフレンドリーに接してくださり感激しました。「自分はファーマーだ!」と自信たっぷりに話される姿が印象的でした。40年以上にわたり670ヘクタール(山4コ分)もの広大な敷地で農薬や化学肥料を一切使わずに、他のどのダージリンの茶園よりもいきいきとした手入れのゆきとどいた茶園を管理されていることは強い信念や意志とともにリーダーシップのある尊敬される方なのだと思います。

マカイバリ茶園では、アジアの国々で見かけるゴミの山もなく紙くずなども落ちていないことに驚きました。バグドグラ空港でもトイ・トレインに乗るために行った観光地の紅茶専門店、お土産物屋、本屋などにもマカイバリ紅茶は山積みされていて人気のすごさを感じました。

いろいろ想像をめぐらせ
楽しみにしていたホームステイ
地元の生活を体験したい私にはとても興味深く、念願だった料理を教えていただいたり、ヤクのチーズやキネマ(ヒマラヤ納豆)を食べたり、朝がニガテな私でもまだ暗いうちから鳥の美しい鳴き声で目覚め、ニワトリの声、ヤギの声、インド音楽、祈りの声、大声で歌う声、子どもや母親の声などで自然に起床する毎日。

庭でとれた豆やトマト、きゅうりや山菜を使った料理を食べ、大家族でにぎやかに暮らす姿。子どもたちはいろんな年の子と外で遊び、飼い犬もつながれることなく、猫と出会ってもけんかにならず共存する不思議さ。

水道水や電気製品があまりない中で、人と人とが関わりながら、雨水をためて利用するなど工夫して生活する様子に感心すると同時に、今の自分のことを思わずにはいられませんでした。

水の豊かな日本という国に生まれたことを
幸せだと思う反面……
蛇口をひねれば適温のお湯が流れ、飲める水がトイレに流れ、洗濯機のスイッチを押すだけで洗濯ができるあたりまえの便利な生活がいかに幸せなことか? 反面、あふれる情報を与えられ続け、自分で感じたり考えたりしないまま数字や情報を信じて行動していることがいかに多いか? 抗菌や防臭グッズがあふれ、殺虫剤など使いすぎていないだろうか? 虫が生きられない環境は人間にとっても住みにくい居心地の悪い場所ではないだろうか? 便利さとひきかえに失ったなにか…危機を察知したり予測する能力、五感や"第六感"が育たない、あるいは衰えているのでは?…という危機感。もし水や電気が不足したら?(インドと同じ環境になったら?)…などと考えさせられる毎日でした。

茶摘みする日を決めるのも、目安になる花や樹があり天体の動きなども考えられていること、紅茶の香りを見極めるにも人間の臭覚が大事であることを知り、もっともっと人間としての感覚を大事にする生活をおくらなければならないのでは?…と思いました。

ひとりひとりがもっと、すべての命あるもの、環境を考えて生活し、小さなことからでもすぐに実行しなければならないのでは…と思いました。そして、もし心がこわれそうであったり、生きづらさを感じるならば、自然の中でこそ人間らしさや自分をとりもどすことができるのではないか? マカイバリ茶園での生活はそれを教えてくれたのではないか…と思います。

すべては“健全な土壌が健全な人間を創る”というマカイバリ茶園の信条につながり、それがおいしさになってマカイバリ紅茶にはあふれでているのだと思います。

帰国後、毎日
このおいしい紅茶をいれるひととき
マカイバリ茶園を思い出し、急勾配を早朝から籠を背おい新芽だけを茶摘みする女性の、日に焼けた明るい笑顔を思い出し、大切な葉っぱを無駄にせず、最後の一滴までおいしくいれなければ…と思いながら、もっともっとみんなに、このおいしい紅茶を知っていただきたい、飲んでいただきたい…と思いながら飲んでいます。

最後に、ぜひ機会があれば気持ちの良い茶園を、一寸先が見えなくなるくらいの深い霧を、工場内での茶葉の良い香りを、村のにぎやかな音を、自分の目で見て、においをかいで、耳で聞いて、パワフルでエネルギッシュなインドを体験してほしいと思います。

そしてこの貴重な経験をする機会を与えてくださったラジャさんや石井さんをはじめマカイバリ茶園の人々に、また心地良い距離感で困った時には快く助けていただき、たくさんの知恵をさずかったすばらしい参加者の方々に感謝をし、めぐりあわせの不思議さや出会いの大切さを胸に、いつか再びお会いできる日まですこしづつでも成長していきたい…と思っています。

本当にありがとうございました。