ニューデリー駐在員から届く インドの「今」
現地レポート2 第1日目:トラブル続きのスタート 第2回白内障キャンプの初日が始まりました。今回は、20人の患者さんが手術を受ける予定でしたが、重症な患者さんが多く、26人に変更になりました。手術を受ける患者さんは、手術を受けたくても資金的に難しい人、重症度の高い人がクルセオン病院のドクターによって選ばれます。 今回の白内障キャンプで、米谷先生が最も心配されていたこと、それは前回日本から持ちこんだ手術器械が正常に動くか、と言うことでした。このことについてはキャンプが始まる前から、クルセオン病院と、現地の手術器械の会社と念入りに打ち合わせをしていました。準備万端で望んだはずの第2回白内障キャンプ、しかしそこにはとんでもない落とし穴が待っていました。 手術が始まった途端、白内障手術の器械の調子が悪く、手術中に何度も止まってしまったのです。今回は、昨年よりも11人多い、26人の患者さんが米谷先生の手術を待っています。それなのに、器械の不調です。現地のナースや、病院の技術者の方々、そして私たちも必死に解決策を探しましたが、何が原因で器械が不調なのか分かりません。 何とか3人の患者さんの手術を終わらせたのですが、しばしば器械が止まってしまったため、この時点で第1日目の手術を中止せざるを得ませんでした。日本ではこのような場合、すぐに、器械会社から技術者の方が来てくれるそうですが、インドではまだ器械の普及が日本ほどではないので、簡単に会社から技術者の方が来てくれるのは難しいのです。病院側は至急技術者の派遣を依頼しましたが、翌日までに間に合うかどうかわかりません。 はりきってスタートした第2回白内障キャンプ、そのスタートは、器械との格闘から始まりました。 第2日目:深夜までの手術 そして問題の第2日目に突入しました。 悪い予感は的中し、手術器械会社の技術者は、手術時間に間に合いませんでした。しかし病院側の技術者が、電話を通して器械会社の技術者から指示を受け、手術装置を調整することになりました。その結果、装置は昨日より安定して動くようになり、昨日から持ち越しの患者さんと合わせ、計23人の患者さんの白内障手術が始まりました。 安定したと言っても器械はまだまだ不調で、米谷先生は、固い白内障だけでなく、器械とも格闘しながらの手術を行うことになりました。そのため、予定された手術時間には終わらず、翌日への手術の持ち越しも検討されました。しかし米谷先生は、待っている患者さんが一日入院期間が延びることによって余分な出費をしてしまったり、遠方から来ている患者さんもいるので、簡単に手術を延期したり、中止したりすることはしたくない、とおっしゃいました。 器械が動くことを祈りつつ、最後まで手術を続けることになりました。 一人の患者さんの手術が終わるのに、予定以上の時間がかかることになり、しかも、手術台と椅子が米谷先生の体型に合わず、無理な姿勢での手術が延々と続きました。米谷先生は、足がしびれるらしく、手術の合間に時々足踏みをしていました。 第2日目の手術は、朝9時から始まり、間に約30分の昼食時間と一回の小休止をはさんだだけで、23人連続の手術となりました。全ての手術が終了したのは深夜1時。現地のドクター2人の他に、ナース5人、そして病院の技術者の方1人が、最後まで手術を手伝ってくれました。 26人、無事に終了 第二回白内障キャンプは器械との格闘、時間と体力との闘いの末に終了しました。 最後の患者さんが手術室から出て行った時、手術室にいた全員に笑みが戻りました。それは白内障キャンプが、ダージリンと日本のスタッフが共同で行っているキャンプなのだと言うことを、お互いが改めて確信する瞬間でもありました。そしてなんと、病院長のDr.シャルマも、全ての手術が終わるのを待っていたのです。手術が終わった時、手術室に来て,無事手術の終わったことを満面の笑みで喜んでくれました。 手術が終わり、着替え室に戻ると、私たちのために夕食が用意されていました。約16時間の闘いの末に口にした「ネパール風焼きそば」の美味しかったこと!現地スタッフの皆さんの温かいお心使いに感謝し、病院を後にしたのは深夜2時近くでした。
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