ニューデリー駐在員から届く インドの「今」
ダージリン白内障キャンプ 現地レポート4 2003年12月28日 米谷先生が到着しました 今日はいよいよ米谷先生とマカイバリジャパン・スタッフ の石井洋子がデリー経由でダージリンに到着します。朝食の時から白内障キャンプの話が盛り上がります。 ただひとつ心配なのことがありました。それは、デリーからの飛行機が濃い霧の為にキャンセルされるのではないか、ということです。 ラジャさんは航空会社に電話をしたり、知り合いの人に電話をして、何とかして最新の情報を得ようとしましたが、「飛行機はキャンセルされないだろう」ということしか分かりませんでした。 厄介なことに、バグドグラの飛行場は空軍と一緒に使用しているため、民間機の離発着は午後5時以降禁止されています。 私が24日にダージリンに来た日も、飛行機が3時間遅れた為に到着が午後4時になり、ラジャさんをやきもきさせました。 明日にはプレスカンファランスが控え、手術を受ける患者さんたちも米谷先生のことを待っています。 この日は既に3つのフライトがキャンセルされ、米谷先生達の到着をほとんどあきらめかけていた時、デリーからの飛行機が3時間遅れで離陸したとの情報が入りました。米谷先生達はバグドグラの空港が閉まるギリギリの午後4時30分過ぎに到着し、ラジャさんはホッと胸をなでおろしていました。 マカイバリ茶園に到着すると、茶園の人たちがネパール式の歓迎式をしてくれました。首にスカーフをかけてくれ、神様にお祈りをした後、おでこにビンディをつけてもらいます。 いよいよ2年越しの白内障キャンプの始まりです。 マカイバリのコミュニティーの人がネパール式の歓迎式をしてくれました。 神様ガネーシャにお祈りをします。司祭の人は、毎朝ここでマカイバリ茶園の人々のことをお祈りします。 国立クルセオン病院の倉庫にて。 木箱があまりにも大きいので隣に並んで記念写真をとりました。 写真右端から茶園主ラジャさん、米谷先生、石井博子、石井吉浩。 インド政府系病院で第1号となる手術装置 歓迎式の後、私たちはすぐに国立クルセオン病院に行き、 明日から始まる手術のために器械のセットアップをしました。 高さ2mもある木箱を開けると、中にはたくさんのダンボールが詰まれ、奥から手術用の顕微鏡が出てきました。 こんなに大きな、しかも高価なものが、日本からドイツ経由でこの山の上にある病院まで無事にたどり着いたことを思うと、これらの器材を手配し、運んでくださった方々への感謝の気持ちで胸があつくなりました。 手術室でのセットアップにはDr.シャルマを始め、眼科のスタッフが総出で手伝いをしてくれました。インド全国の政府系の病院で第1号となる眼科手術の超音波の器械、そして高価な手術用の顕微鏡、みんな興味深々です。 日本では、器械のセットアップは器械専門の人、手術の準備は看護師さんがしてくれるので、米谷先生は手術の準備がすべて整った時点で手術室に入るそうです。今回は器械のセットアップから手術の準備まですべて米谷先生がされ、現地のドクターとスタッフたちは、「米谷先生はドクターなのに、1人ですべてのことができるんですね!」とみな驚いていました 手術の器械は全て米谷先生がセットアップされました。
明日から行われる手術用の器材のセットアップを終え、マカイバリ茶園へ戻りました。
************************************************************************* 現地レポート1 霧の濃いニューデリーに到着しました。ニューデリーのクリスマスの様子など。 現地レポート2 マカイバリ茶園に到着。今日からラジャさんが子どもの頃に使っていた部屋に泊まります。 現地レポート3 マカイバリ茶園の仲間たち。ラジャさん夫妻とのクリスマス。白内障器材が病院に到着。 現地レポート4 米谷先生がマカイバリ茶園に到着。プージャの後、器械のセットアップ。 現地レポート5 開会式、プレスカンファレンスのあと、手術第1日目が始まりました。 現地レポート6 手術2日目。合計で16人の患者さんに白内障手術を行いました。 現地レポート7 手術の他に20人の患者さんを診察し、無事に白内障キャンプの最初の幕が降ろされました。 白内障キャンプを終えて: 米谷先生からのメッセージです。